4月12日、祖母が他界しました。
祖父が他界してから23年。
ようやく祖父の元へ旅立つことができました。
祖母との想い出は沢山あります。
私が実家を離れるまでの22年間、ずーっと同居していて
とても可愛がってもらいました。
幼い頃から、祖母の手作りの洋服が大好きで
いつも姉とオソロイで「双子ちゃんかしら?」とよく言われました。
(2歳年上の姉と体格が同じだったもので…)
学生時代のミュージカルの衣装(ドレス)も祖母が作ってくれた。
コンサートのドレスも祖母が作ってくれた。
演劇の舞台の衣装も祖母が作ってくれた。
でも祖母は洋裁で生計を立てていた人ではなく、
「素人の趣味程度」と笑いながら、流行の服の写真を見ながら
型紙から自分で作って、私の服を仕立ててくれた。
幼い頃はお手玉を教えてくれたり、昔ながらの遊びを色々と教えてくれた。
とても心が豊かな人で、いつもニコニコと笑みを浮かべているような
幸せな雰囲気を纏っている人だった。
でも、初七日の席できいた祖母の経歴は
祖母が子供の頃は貧しく、働かなければいけなくて
小学校に通うことはできても、仕事で殆どいけなかったと。
その後も、祖父と結婚するまでは、とても苦労してきたと。
祖父と結婚してから、0からのスタートで
祖父も頑張り、祖母も祖父を支えて
事業が成功して今の我が家に繋がってきている。
苦労はしたけれど、晩年はとても幸せだった、と。
足の怪我から自分で歩けなくなってしまい
それ以来本人の希望もあって病院併設の施設に移っていた祖母。
昨年の311の大震災の時に「今の母屋は地震で崩れる」と、
逃げることができない祖母が「家の中にいれば安全」と思えるように
母屋を改築することに決めた父。
ようやく先月末に完成し、祖母も一時帰宅する予定になっていたのに
インフルエンザにかかってしまい、治ったと思ったら肺炎…
一時帰宅すると決めていたその日に4人の子供が迎えにいったけれど
肺炎のために帰れなかった祖母。
家が完成して、車椅子でも移動ができるようになった母屋に
祖母は無言で帰宅することになってしまいました。
姫ちゃんが生まれた時、まだ杖をつけばなんとか歩けた祖母は
初めての曾孫が嬉しくて嬉しくて、
5分おきくらいに自分の部屋からでてきて、
姫ちゃんの寝顔をのぞきこんだり、布団をかけてくれたり…
いつもは滅多にでてこない自室から、あんなにでてきてたのは
きっと姫ちゃんが生まれたこの時だけだったんじゃないかと思う。
姫ちゃんも王子くんも、
「おおばあ~」ととってもなついてよく遊んでもらった。
もう洋服を作ることはできなかったけれど、
よく3人で折り紙で色んなものを作ったり、お手玉をおしえてくれたり。
姫ちゃん・王子くんは実家に帰るといつもおおばぁの部屋にいた。
だから、最後のお別れに2人は
おおばぁに教えてもらった折り紙を棺に。
おおばぁ、おおばぁ!と王子くんはずーっと泣いていて
姫ちゃんは無言で涙をこらえていた。
私だけでなく、姫ちゃんにも王子くんにも
ずーっと愛情をそそいでくれていたおおばぁ。
本当にありがとう。
おじいちゃんのところにいって、また2人で
幸せにふくふくとした笑顔でいるのでしょうか。
おじいちゃんに曾孫の話をしているのでしょうか。
「わたしゃ、長く生きすぎたねぇ・・・」と繰り返し言っていたけど
そんなことはないよ
もっと長く生きていてほしかった…